名画は誰のものか

2006年11月末、ドイツ政府は、ベルリンの連邦首相府に、美術館の館長、法曹関係者、美術商を集めて会議を開いた。

「ナチスが没収した美術品を返還してほしい」という、ユダヤ人の遺族からの要求にどう答えるかについて、協議するためである。

ドイツ政府は1998年の「ワシントン宣言」の中で、ナチスが没収した美術品を遺族に返還することを、約束している。

ただし、不当な没収が行われたのは、今から60年以上前のことであり、どのようにして美術品が持ち主の手を離れたのかについて、事実関係の確認が難しくなっている。

このためドイツ政府は、ユダヤ人が所有していた美術品を、美術館が入手した経緯について、これまでよりも詳しく調査することを検討している。

 この会議が開かれた理由の一つは、ドイツとオーストリアの美術館で市民に親しまれてきた名画が、米国に住むユダヤ人の遺族に返還され、遺族が名画を転売して巨額の富を得るケースが相次いだからである。

2006年8月には、ベルリン市の美術館が表現主義の画家エルンスト・キルヒナーの代表作「ベルリンの街頭の風景」を、米国に住むユダヤ人に返還した。この絵の最初の所有者だったユダヤ人の企業家アルフレート・ヘスは、ナチスの迫害を逃れるためにスイスに亡命。

ベルリン市は、「ヘス家はナチスに脅されて、この絵画を安値で売らされた」として、1980年に80万ユーロ(1億2240万円)で購入したこの作品を手放したのだ。遺族は返還された絵を、3ヵ月後にニューヨークで競売にかけ、3000万ユーロ(45億9000万円)を手にした。

また2006年2月には、オーストリアの美術館に展示されていた、グスタフ・クリムトの名作「アデーレ・ブロッホ・バウアーの肖像I」が、ロサンゼルスに住むユダヤ人、マリア・アルトマンさんに返還された。

この作品はバウアー夫人の死後、夫に引き渡されたが、1938年にナチスがオーストリアを併合したため、ユダヤ人企業家だったバウアー氏はスイスに亡命。

彼の財産はナチスに没収され、バウアー夫人の肖像画は1941年にオーストリアの美術館が購入した。バウアー家の親戚であるアルトマンさんは、ナチスの迫害を逃れて米国に移住していた。

彼女はオーストリア政府から肖像画を返還されると、4ヵ月後に売却して、1億3500万ドル(148億5000万円)を手にした。

これは、1枚の絵画に支払われた額としては、史上最高である。作品は現在ニューヨークの美術館に展示されている。私の知るオーストリア人は、「絵がウィーンからなくなって残念。オーストリア政府は絵を買い戻すべきだ」と悔しそうである。

 ナチスによって美術品を不当に奪われたユダヤ人の遺族が、返還を受けるのは当然だ。

しかし、ドイツやオーストリア市民の間に感情的なわだかまりが残らないように、政府が美術品の入手経路について、客観的な調査を行い、透明性を確保することは重要である。

(文・絵 熊谷 徹 ミュンヘン在住)筆者ホームページ http://www.tkumagai.de


保険毎日新聞 2006年12月